年金は損得で論じるものではない、世代間の支え合いであると言う人がいる。異論はあるがとりあえず否定しないで観察するならば、現役世代が稼いだ金で年寄りの生活を支えるというのが古色蒼然たる大家族農家なノスタルジーを感じるということなのであろう。さて、支え合いというからに現役世代が金を稼ぎ出すために、例えば子育てだの家事だのでテンテコマイであるとする。これは当然「支え合い」なのだから時間と資産を持て余している年寄りが若者を支えるべきものだろう。一方的に支えるのではなく、「支え合う」のだから。もし、「我々が若い頃に作ったインフラやシステムがあるから稼げるのだから・・・・」と言い出したらこう返して差し上げよう。「損得で論じるものではない、今現在の世代間の支え合いなのだから」と。
2002年03月
03月01日(赤口)
  • 再び町田の骨董市。前回買った万年筆は、とりあえず書けるし、インクもスポイト状になった袋の中に入るのだが、何故かしばらく使わないと書けなくなる。つまりスポイト側からペン先へのインクの供給が上手くいかないらしい。これではいささか寂しい状況なので、改めてまた万年筆を探す。
  • 今度は、ペンの中にあらかじめコンバーターが付いた状態で、ペンの後ろの部分がピストンの取っ手になっているタイプのものを見つけた。それほど時代がかったものでもないし、メーカー名も無いので最近中国あたりで作られたものなのかもしれないけれど、とりあえず健全そうなので買ってきた。一本1000円なり。
  • 軽く掃除してインクを入れてみたら、とりあえずインク漏れは無し。とりあえず書けるようだ。もう少し使って様子を見ることにしよう。
03月02日(先勝)
  • 不景気だの、ベンチャー企業が出てこないとか、いろいろ言われるけれども、諸悪の根元をたどっていくとどうも副業禁止規定にあるような気がする。まるで個人で酒を醸すことが「密造」だなどと言われる(パンを作る時だってアルコールは出来ているのだという言うことを考えれば、これがいかに馬鹿げたことか分かる)のと同じように給料をもらっている会社以外で収入を上げることが後ろめたい事であるかのような風潮があるのだけれども、これはどう考えても奇怪である。副業禁止規定が何を意味しているかというと、企業が従業員の能力全般を抑え、社会から隔離、囲い込む行動である。この裏には何があるかというと、個人個人の違いというものは無視して、工業製品的労働力として人を使うということがその発想の原点であろう。これを更にたどると画一的な教育といったものにまで行き着く。
  • 日本の人件費は高いと、経営側は言う。なるほど人の持つ潜在的な力を押し殺し、企業が利用できる部分だけで利益をあげようと言うのであるからこれもまた当然だろう。たとえるなら大きなマグロを取ってきながら、トロしか食べずに残りは捨てているようなものに等しい。しかもひょっとしたら本人も気付かないうちに大トロを捨てているかもしれないのである。これでは高価なものに付くのもあたりまえのことだ。副業は禁止するようなものではない、大いに推奨すべきものである。
  • 某大手でもワークシェアリング導入で給料が減ることから、副業禁止規定を見直すという動きに出たようでもある。終身雇用も崩れる今、自衛手段、リスクヘッジという意味でも、ダブル/トリプル・インカムというのは正しい選択である。
03月03日(友引)
  • ひなまつりと言われても気分が出ない。また少しPICをいじる。PIC16F84を1個ではプログラムが入り切らなくなったので、2個に分割。PIC間は簡単な8ビット+ハンドシェークでデータ受け渡すようにしてみる。ロジアナで波形を見て動いていることを確認。若干データの受け渡しでミスをしていたところを修正。
  • 以前入手したMacだが、どうもマウスのスイッチの具合がよろしくない。あれこれやっているうちにとうとうスイッチがONしなくなってしまった。分解してみたら、部品取りのために買っていたマウスの残骸基板に付いているスイッチとほぼ同じ大きさである。なるほど、この手のものでは業界標準タイプなのだろう。
03月04日(先負)
  • 先日買った万年筆だが、やはりインクがすぐ切れる。そもそも、これってどうやってインクを入れるのが正しいのかもよく分からないので、万年筆関係で検索して見つけたのが、この道で知らなければモグリといえる川窪万年筆の「インク吸入方式」のページ。どうやら、これの「インク止め式」というものだったようだ。図を見ると、ピストン部分はインクを吸い上げる物ではなくて、不用意にインクが漏れないように吐出を止めてしまうための仕掛けだったようだ。インクは首の所を外してスポイトで注いでやるらしい。本当に外れるのかと、しばらくあれこれやっていたら、図と全く同じ位置でクルッと回って取れた。これでインクを入れれば良いわけだ。
  • スポイトは持っていないので、急遽スーパーへ。小学生の習字関係の所にあった。2個40円なり。
  • インクを入れる。いっぱいにしながらインク止めを引いて少し隙間を作ってからペン先をねじ込む。ちょっとこぼれたインクを拭き取って尻ネジを締める。これでかなりたくさんインクが入ったので、しばらく使える筈だ。
  • 最近英文メールが良く届く。宛先がwebmasterの方なので、.comドメインを片っ端からスキャンしてHTMLの中にメールアドレスらしきものがあったら自動的に送るということでもやっているのだろうけれども。この前は単なるウイルス君だったけども本日はプレーンテキスト。中身は「 Hey, My name is Cindy, and I host adult webcam chats. I am 19 years old and I have a great body.・・・」はいはい「You have a great body and a poor brain.」
03月05日(仏滅)
  • このところやっていたKeilからSDCCへの移植なのだが、一通りできたもののメモリに収まり切れないという問題がなかなか解決できずにいる。8051の場合、インダイレクトエリア、ダイレクトエリア、XDATA領域と分かれているのだけれども、この制約が結構厳しい。ダイレクトアクセス可能な領域は128バイト、そのうち30H位はベクタやらスタックなどに食わせるので、実質使えるのは50H分、90バイトとなるのだが、これが結構食いつぶされている。これはローカル変数をたくさん使うからだろう(SDCCの場合、リエントラントな関数としてい宣言しない場合には、ローカル変数は静的に確保される)と移動してみたが大差ない。よくよく調べていくと、関数の中でテンポラリに使うデータ領域をことごとく新しく静的に確保していて、しかもこれが全部ダイレクト領域にとられてしまっている。さて、どうやれば激減させられるのか。Cのソースとつきあわせて調べるしかないな。
03月06日(大安)
  • ニッコー電子にて打ち合わせ。少し時間があったので、上野近辺をブラッとしてから行く。朝のうち雨が残っていたおかげか、薬のおかげかそれほど症状もひどくない。
  • いろいろと話題に事欠かない。パケットジェネレータのサンプルアプリケーションの最終調整をする事、ちょっと面白げなUSB機器の下調べ。
  • 本日の土産、亀十のドラ焼きと、桜餅。薄いピンク色の皮の中にあんこが入っているタイプ。
03月07日(赤口)
  • VisualBasicで書いたパケットジェネレータのサンプルアプリをひとまず作成して、これでひとまず完了とする。VB-CCEで作った物で、恥ずかしながらソースも公開してしまう予定。要するに、基本的な遊び方ルーチンは入れたから、あと各ユーザで必要な特殊機能があったら、各自好きなように改造して作ってくれということ。
  • 相変わらずKeilからSDCCへの移植で難航。先日の問題はソースを少しいじることで、クリアできたものの、今度はコード生成効率等の問題もあってメモリに収まり切れない。データ領域の初期化部分をプログラムで展開するように落ちてしまうのも一因か。それにしても十分憂鬱。あと768バイト位詰めないと入らない。さて困った。
03月08日(先勝)
  • 都心方面に出かける。それにしても暑いのか寒いのかよく分からない天気。花粉症とこういう気候と相まってなんとも体調崩しそう。
  • 秋葉原で買い物ついでに立ち寄ったところで、版画展をやっていた。「コモン&チェン・シュウフェン」と「いのまたむつみ」「美樹本晴彦」の版画展。アートポスターを無料でくれるということだったのだけど、品切れ。コモンのカレンダーを一つもらう。結構綺麗。それにしても、この手の版画で35万円、15万円、中には100万円などというものまである。この値段でも買う人がいるのだろうなと思うと、「ヲタクが経済を救う」というのが妙に現実味を帯びてくる。(生活費を切りつめてでも好きな分野には金を払うというのは、ブランド品などでも同じことだけれども)しかし、この手の版画を飾ってある部屋というのって一体どうなっていることやら。
  • ジャンク扱い「動けばらっきー!」という感じで500円でSHARPのザウルスPI-6000が箱の中に投げ込まれていた。もう6年位はたつ筈だから、かなり古いものだけれど500円ならまぁいいかと買ってみた。外観はそれほど痛んでないので、何となく動きそうな気がする。明日電池を入れてみるとするか。
03月09日(友引)
  • 昨日買ったザウルスに電池(単4×2本)を入れてみた。裏のリセットボタンを押したら、タッチパネルの位置調整画面が登場。おぉ、生きているではないか。でも、バックアップ用の電池が切れているとかでそこから先に進めない。裏蓋をあけてみたら、CR2025だった。これは確か100円ショップにあった筈・・と探しに行ったら確かにあった。入れ替えて再度リセット!無事に起動。しかし、マニュアルも何も無いので、一体どんな機能があるのかもさっぱり分からない。あちこちいじりながら「アシスト」画面を眺めて遊んでみる。英和/和英/漢和/国語辞典が入っているのはそれなりに便利か。漢和辞典で漢字を引くと句点コード、JISコード、シフトJISコードが出てくるのもひょっとしたら有り難いかもしれない。
  • スケジュール管理関係はちょっと面倒な感じがしなくもない。インクワープロは、文字が行の幅に縮小されるのでちょっとコツが必要そう。手書きメモは図を描いておくのには良いのだろうけれど、画面がちょっと狭すぎるかな?スクロールできると良いのだけど。もう少し使い慣れてくると良いのかもしれない。
03月10日(先負)
  • 500円ザウルスを少しいじる。だいたい分かって来た感じがする。やはり制約は制約として受け入れるよりないな。あと、データの転送ができれば良いのだけど、赤外線かあるいはメモリカード。メモリカードのスロットに試しにPCMCIA準拠(今のPCカード)のカードを入れようとしてみたけど、大きさが違う。スロットの奥を覗いたらピンは一列しかない。PCカードなら二列なので、さすがに駄目ということか。とりあえず備忘録と電卓と簡易辞書と思っておこう。
  • こういうことをしていても、たまにはスーツを着るということが出てくる。これまで全然気にしたことも無かったのだけど、改めてスーツを着込んでみると、まるでサイズがあってないということに気が付いて愕然とする。一番体重があったときに買っているから仕方ないとはいえ、パンツはウエストが全然合ってない。握り拳二つ入れてもまだ余るというとんでもない状況に陥っている。上着も肩幅が大きすぎる。肩の端を押すとそのまま凹んでしまう。ウエストはともかくとして、肩幅ってそんなに縮むものなのだろうか?
  • さすがに買い直すしかないと思うのだが、デパートのスーツ売場はもちろんのこと、「紳士服の○○」でさえ行くのは気恥ずかしくて気が重い。何が嫌と言って、あの売場の雰囲気ほど嫌な物はない。なにやら取り澄ました雰囲気の中に広がる紳士然たる雰囲気。堅苦しく固定された形で、どれもこれも黒と灰色と青の入り交じったような妙な色合いで、一体何がどう違うのかさっぱり分からない。こんなもので「ここの作りが良い」だの「この色が/この生地が」と言われたって、さっぱり分からない。まるで、フィギュアのディテールで盛り上がっている連中の会話のようだ。もちろん、それが悪いというわけではないけれども、敬遠する理由としては十分だろう。
  • SDCCへの移植作業。定数をCで初期化すると、いちいちデータを初期化するコードが生成されてしまうので、これをアセンブラの.dbで切ることで初期化コードを大幅削減。どうにかメモり空間に押し込めることには成功したものの、やはり全く動いてくれていない。例によってSDCCのバグという可能性も高いな。明日要調査。
03月11日(仏滅)
  • LEDとロジアナというかなり原始的なデバッグ方法でとにかく追う。なんと関数の引数がまともに渡っていない。生成されるコードを見ても今ひとつよく分からないので、とりあえずグローバル変数渡しにしてみるとこちらはさすがに大丈夫。SDCCの場合、特にリエントラントであると言わなければ、引数が2個以上あると勝手にグローバル領域に変数領域をとってそこで受け渡しをするようなコードを生成する(スタック領域節約のためだろう)のだけれども、どうもしくじることがあるようだ。
03月12日(大安)
  • 昨日の続き物。何とか収まったコードにチェックポイントを入れて、ロジアナで波形を眺めてみると、何だか全然バスアクセスをしていない。追いかけていったら、コンパイラの最適化のおかげで動作トリガ用のレジスタアクセス(リード方向)が不要なコードと見なされて削除されてしまっている。いらんところの最適化だけは熱心だな。
  • 何とか少し動き始めたがまだおかしい。もう一息かな?
03月13日(赤口)
  • 明日の出張準備で資料読み。だいたいやりたいことは分かったのだけど、何となく不安感が残る。産業機器の端くれを手がけていた時の感覚が抜けないからかな?
03月14日(友引)
  • 打ち合わせ。結構ご近所さんなのだけど、場所を間違えてあたふたする。まぁ、車だったので、それほど大きな遅刻はしなかったものの、反省反省。
  • 打ち合わせの間は何とか大丈夫だったのだけど、帰ってきてから何だか眠さとだるさが一度に訪れてきた。花粉症の薬が効きすぎたかな?睡魔に勝てずそのまま夕方まで睡眠。
  • 起きてからゴソゴソと資料整理。簡単に議事録というか議事メモを書いてメールしておく。
03月15日(先負)
  • 昨日の結果を受けて、一番気になる部分を仮設計してみることにした。コストと絡む部分なので、あんまり変な事はしたくない。とりあえずざっくり書いてみたのだけれど、どうも予定より大きくなりそうな気がする。
  • 気分転換兼ねて運転免許の更新に行く。これまでは写真が必要だったのに、不要になっていて、何か変わったのかと思いながらとにかく現着。お姉さんと呼ぶにはちょっと厳しそうな女性が一人いて、「はい、葉書と免許証。そこで申請料払って・・」事務的にいわれているうちにコピーで申請書が出来てきて、名前と生年月日だけかいて窓口提出。視力検査も以前なら視野角検査が必要な筈なのだけど、今回も無し。不要になったのか?後は型どおりの講習受けて免許証交付。免許取って以来無事故無違反でやっとこさ初GOLD免許。これで来年は保険料も安くなるのだろう。
  • まぁ、この程度の中身なら回路図の方が気楽だというわけで、OrCADで書いてEDIFをはかせてMACHXLでフィッティングするという道を選んでみた。PLD用のライブラリが結構低レベルで、基本的なゲートレベルの物しかない上、同じようなブロックがいくつも必要になるので、回路図を階層化しようとしてハタと行き詰まった。OrCAD-SDT(DOS版)ではやったことがあるけれど、Capture(Win版)ではそんなやりかたをしたことが無い。
  • とりあえず、オンラインヘルプ(当然英文)を読むけのだが、何だか要領を得ない。結局チュートリアルを起動して、関係ありそうな所を見るとごくごく単純に「階層化はこう呼ぶ」というだけの説明がチラッと行われるだけ。こんなのありか?と思うけれど、それ以上の情報が無いのだから仕方ない。
  • ボヤいても先に進まないので、とにかく見ようみまねで書いてみる。若干悩んだけれど、メニューを眺めながら想像力で補ってみたらそれなりに出来た様子。試しにネットリストを出してチェック。一応予定通り階層が生成されて結線されたようだ。明日本格的に書いてみることにしよう
03月16日(仏滅)
  • 昨日の続き。とりあえず書いてみる。ラッチを並べて8ビットラッチを作り、セレクタを作り、マルチプレクサを作り・・・
  • 仮結線して回路図仕上げ。EDIFネットリストまで出してフィッティングしたら、かなり時間がかかったものの、何とか正常終了。仮の回路とはいえ、とりあえず考えていた程度のデバイスに入ることが分かって安心する。
  • 何だか騒ぎを大きくしている。一人に集中させてさんざん引き伸ばして騒ぎをなるべく大きくして(だから段階を踏む)決着させると、「一件落着」という気分になる。これで本体は安泰である。シンプルだけど有効な手段。
  • 声に出して言うか言わないかの違い、当事者であったかどうかの違いはあるだろうけれど、恐らくそれなりの企業に入って何年もいれば社外に知られてはヤバい事の一つや二つは知ることがあるのが普通ではないかと思う。社内情報にはトンと疎かった私でさえ、そうした事を知っていたわけでもあるのだから、ファイル何冊分もの爆弾情報を握っている人もいるのだろう。それが口外できなかったのはやはり終身雇用があって、結果的に正しいことをしながら自分の生活や将来に多大な被害が及ぶから。ここにきてこうした情報が漏れ出すというのは、まさしく終身雇用体制が崩壊しているということの証と言えるのだろうと思う。
03月17日(大安)
  • 匿名の掲示板などでは、言いたい放題言いやすいということと、とかく文字だけではニュアンスまで伝わりにくいがために、よく無用の衝突が起きる。当事者同士がほとんどいがみ合っているような場合は収拾の付けようがないわけで、くたびれるまでやらせておけば良い。が、気になるのは片方が多少なりとも折れた場合のもう一方の応対である。現実の世界はセンター試験のテストではないのだから、正解が一つであるとは限らない。衝突している意見の両方とも間違っていないことだってある。相手が一歩引いた時に、自分も呼吸を合わせて引くというのは、そうした現実の多様性を受け入れているからだろうと思う。
  • が、このところ見ていると片方が引いたら、勝ち誇ったようなそこに追い打ちをかける人が少なくない。たぶん、こうした人の頭の中では「自分は間違った事は言っていないんだから、不愉快なのは全部相手が悪いから」「相手が間違っているんだから、何を言っても許される」というロジックなのだろう。自分が間違っていなければ、相手が間違っていに違いないという、実にペーパーテスト的な発想である。いつからこういう傾向が強まってきたのかは知る由も無いけれども、何となく何でも白黒つけたがるどこぞの国の風習にも似ている気がする。世界はそんなに単純ではないのだと、茶々入れをしたい気分になりながら、私は掲示板を去るのであった。
  • FPGAの中身を本格的に書き直し。階層の作り方も分かったので、今度は結構良いペースで進む。必要なライブラリがでてきたら、プロジェクトの下にスケマティックフォルダを作って、その下に書けば良いだけのこと。実に単純だけど、合理的なやり方だ。
03月18日(赤口)
  • FPGAの中身が一通り完成。シミュレーションは出来ないけれど一応フィッティングかけて入るところまで確認する。
  • ボチボチと怪しい計画の準備進行中。またドラフトに近い段階なので、これから二転三転する可能性は十二分にあるが、まぁいいだろう。
03月19日(先勝)
  • 実は物心付いて以来の深爪である。少しずつ短くなっているうちに、爪と皮膚の接合ポイントがだんだん後退してしまって、それと共に指先を保護するように皮膚が硬くなっていく。だいぶ前に一回だけ爪を伸ばそうとしたことがあったのだけど、のびてきた爪と皮膚の間に汚れやゴミが入って黒くなるのを手元の精密ドライバなどで取っていたら、爪がだんだん薄くなって、とうとう接合ポイントで割れてしまい、それっきりあきらめていた。が、先日から何となく思い立ってもう一回伸ばしてみることにした。今度は前回の失敗に懲りたので、100円ショップで爪用のブラシも買って来た。汚れるとマメに掃除するのだが、今度は薄くなる様子もない。
  • かくして、だいぶのびてきた(とはいえ、一般の方の基準からすればまだ深爪状態だろう)のだが、何かを取るとき、キーボードを叩くとき・・・とにかく爪の先が物に当たったり、ものに引っかかるという感触に戸惑うことが多い。少し痒くて足を掻いても以前なら、せいぜい硬くなった皮膚で掻く状態だったので、多少力を入れてもどうということは無かったが、今度は本気でやると皮膚を掻き壊してしまう。頭を掻いてもちょっと指を立てるだけで痛い。普通はこういうものだったのかと思ったりもする。かすかなパラレルワールド気分である。
03月20日(友引)
  • なんとも懐かしい方から電話。どこでどう知ったのか、大学卒業以来である。近況報告しあったのだが、何となく似たような時期に似たようなことをしたというのが何となく不思議な感じ。まぁ、だいたい人生の転機っていうのはこういう時期に集中するものかもしれないが。
  • 考えてみると、この業界の走りの頃から足を浸けていたにしては、随分ともったいないことをしたものだと思う。もっといろいろとやることや顔を広げておくチャンスはいくらでもあったのだなと思う。まぁ、当時私自身はパソコンそのものには真剣に手を染めるつもりはあまりなくて、どういう応用があるのだろうかという方向を向きながら接していたという程度だし、積極的に人付き合いを広げる性格でもないので、こうなるのは自然の摂理でもあろうけれど。
  • とりあえずドキュメントを作成したので、メールで納品。ペンディングになっていた仕事の方も手を着けないとまずいし、再スケジューリングが必要。明日頭を冷やしながら考えよう。
  • 特許関係・・去年ちょっと盛り上がっては意気消沈状態だったのだけど、発明協会が無料相談を近場で定期的にやっていることを知る。弁理士さん相手なのに無料だし、先行技術調査までは無料でやってくれるようなので、これを利用しない手はないだろう。どういう場なのかもよく分からないので、とりあえず興味津々。
03月21日(先負)
  • 春分の日。嵐のごとく大風である。外を歩くのも辛いので、車でちょっと買い物に行くだけ。こういうときは通勤というものが無いお気楽さを実感する。
  • 久しぶりにExcelでメモリICのデータ整理。今年度版にいよいよ着手。あんまり大きく変更する予定は無いのだけど、とりあえず「型名の付け方を変更」ということをやってくれたメーカがあったので、そこの見直しがメインかな?国内各社ともメモリは撤退方向だし。
  • 本屋で「日本の軍事テクノロジー」とかいう文庫本を買う。サブタイトルは「技術者たちの太平洋戦争」。内容はまぁ、だいたい聞きかじっていたものが多いけれど、改めて日本には独創性が無いというのが大嘘だということを痛感する。どうも戦後「米優日劣」的な思想を植え付けられたのがそのまま大きくなってきたために、舶来信仰&国内のものを極端なまでに評価しないという風土ができあがっているのではなかろうか。
  • そして、せっかく産まれた物もこのご時世で海外流出である。本当に「科学技術創造立国」なのだろうか?だとするなら、この流出には国策として「まった」をかけるべきではないのだろうか。何もせずに空念仏を唱えているだけなら、何も言わない方がまだましというものである。
03月22日(仏滅)
  • Excelでデータ整理。どうも花粉症の薬効きすぎなのかボーッとする。ちっともはかどらない。
  • このところ洋服を着るようになってきたので、移動は車で無くても良いだろうと、3年間放置していた自転車をなおす。さすがにチェーンは錆び付いているし、サドルもボロボロ・・あちこち直して8千円なり。それにしても、直したとたんに雨が降るっていうのは嫌がらせか?
03月23日(大安)
  • 何でもスピーカー
    何でもスピーカになってしまう装置だそうだけれど、なんだかよく分からないままボーッと眺めていた。サンプルデータはプラグインの方をアップデートしないと駄目だというメッセージが出たのでパス。
  • ヘリウムマンボウな説明会
    日経が協賛するキャノン キャリアアップ説明会選考試験でもなく、「キャノンの技術者に触れていただければ」というのは何だろう。人事担当が仕事の説明をしておいて、「希望の方には募集部門との情報交換ブースにて・・」。まるでヘリウムガスを使ったマンボウ風船のような浮遊感漂う不思議な記述である。あまりおおっぴらに出来ないような分野に進出するためのエンジニア募集というあたりなのだろうか?冷やかしで行ってみるのも悪くないけれど、それでは真剣に職を探している人に失礼だろうな。
  • 過去
    過去には、消し去りたいことがら、忘れてしまいたいこともたくさんある。そうした時に過去に極めて近い時空間を共有していた人からの電話には一種のとまどいを感じたりもする。まぁ、人生はミンコフスキー空間であり、

    x2 + y2 + z2 - w2 = x'2 + y'2 + z'2 - w'2

    なんて具合と考えてしまおう。ここで、wは時間なのだけど何でこれだけマイナス?というのが気にくわないから、時間は虚数に取ってしまえば最終的に符号がプラスになってめでたしめでたしという、ホーキングさんの「虚数時間」も採用しよう。時間は虚数であると思えば、嫌なこともなにもかも所詮「虚軸」の中の事に過ぎないのであり、あまり深く考えるまでもないのである。これで万事、めでたしめでたしとなる。これを一般用語では「現実逃避」といい、他人に説明するときには「記憶にございません」と言う?
03月24日(赤口)
  • ブックエンド
    あれやこれやとやっているうちにずいぶんと机の上も、床も悲惨な状況になってしまった。何故こうも散らかるのかといえば「とりあえず、ここに置いておこう」「とりあえずこれは取っておいて」という、とりあえず主義にあることは分かっている。分かってはいるけれどやめられない、止まらない、えびせん・・などとオヤジギャグを飛ばしながら整理していると、どうも、シンクロの占有スペースがバカにならないことに気付く。これまでは本を置いていたディスプレイの下の空間なのだけど、奥行きの大部分はデッドスペースになっているので、ここを生かすため、本をどかしてシンクロを押し込む。出てきた本はシンクロがあった当たりの位置に100円ショップで買ったブックエンドで立てておくことにした。
     ところで、このブックエンドというものだけれども、何冊か本を並べた状態で本の尻に敷いて両側から挟めば、とりあえず倒れずに綺麗にまとまるという寸法であるということは理解できる。が、このように設置して本を挟んでも、一冊抜くと他の本が倒れてきて困るということが結構ある。特に端になったものが薄い雑誌のような物だとすぐヘナッとなってしまって、そのままズルズル・・ということもある。その昔教科書を並べているときも同じようなもので、これなら横に平積みしておいて、だるま落としよろしく気合い一発引き抜く方が良いのではないかなどという小学生の浅知恵で本の山が崩れるのを見守るだけだったりした。さて、結局解決策の見つからなかったブックエンドなのだけど、もっと気の利いた使い方はあるのだろうか?あるいはそもそもブックエンドというものはハードカバーの本専用で使うべきものなのだろうか?
03月25日(先勝)
  • 飛ばし読み
     本屋に行く。特にこれといって買いたいものがあるわけでもなく、立ち読みするでもない。ただ本が並び、さまざまな書体のタイトルと、腰巻きに書かれた字面や平積みされた本の表紙をぼんやりと眺めている。これだけの本を全部読み切ることは当然出来ないだろうし、読んでいる間に廃刊になる本、新刊として出る本があるのだから、生涯とおして結局1ページも読まずに終わる本の方がずっと多い。かつて100年分の暦を一枚にまとめた100年カレンダーなるものがあったのだけれど、それを買った人の中で自殺者が相次いだという話しを学生の頃に聞いたことがある。自分が絶対生きていないであろう100年分の未来がこれだけであると、具体的に示されると虚無感を抱くということだ。私は、本屋に並ぶ本に同じような時間の限界というものを感じることがある。所詮これを全ては把握しきれないのだという、限界を見せつけられるような気もする。
     所詮読めないなら、表紙だけでいいやと、どこか匙を投げたような気分にもなっていたこともあり、このところまとまった時間をとって何かを読むということをするのはデータブックや規格書、仕様書などばかりということになっていたのだが、何の気まぐれか、つい「文学界」を買ってみた。ずいぶんと久しぶりに手にしたそれはずいぶんとよそよそしい表紙で迎えてくれた。一本読んでみる。つい規格書などを読むときと同様、時間に追われながら「重要そうな字面」を探して飛ばし読みしそうになる。小説なのだからそんなものあろう筈もないのだが、習慣というのはこういうところにも出るものだ。
03月26日(友引)
  • みんなやってる?
    社民党の某議員さん、秘書給与を流用していたことが分かって辞めろだの辞めないだのの騒ぎなのだけど、所詮は離党した議員さんを辞職にまでは追い込まないようにするための、見せしめとして血祭りに上げられただけのこと。それはそれで良いのだけど、この騒ぎの中で「他にも同じようなことをやっている人はいる」という発言が耳について離れない。マスメディアなどでは「”みんなやっているのに何故私だけ”なんて子供じみている」と評価に値せずという扱いになっているのだが、ちょっと待て、これって実は大変なことではないのだろうか?
     もちろん、みんなやっているから許されるということが無いというのは言うまでもないのだけど、「みんなやっている」・・・みんなやっている・・・みんな??それが本当だとするなら政党ぐるみ、場合によっては国会議員の多くが同じようなことを慣行として行っていたことになるではないか。「子供じみた」なんて言っている場合ではない。スピード違反でねずみ取りにあったのとは次元が違う。
     ところが、不思議なことにその点についてコメントする人はいない。メディアも何も報じない。ということは、こうしたことが慣例として行われているということは、マスメディアの連中も含め、みんな暗黙の了承事項だということだろうか?だとしたら、それこそ大問題。
03月27日(先負)
  • 100円耳栓はスグレ物
    ファンといっても、ファンクラブのファンではなくて、冷却用のファン。こいつがどうにも耳について集中しきれないので、100円ショップで買った耳栓を使ってみる。実は以前買っていたものが行方不明なのでやむなくおもしろ半分に買っていた100円耳栓を引っぱり出したのである。ところが、この100円耳栓、なかなか負けていない・・いやそれどころかむしろこの100円耳栓の方が静かな感じがする。恐らく減衰特性が違うだけなのだと思うのだが、まずファンの音はほぼ完全に消えている。キーボードをカタカタと叩く音は若干聞こえる程度。マウスを机の上にコン!と落とすような音はそれなりに聞こえるという程度である。これは当たりだったようだ。
  • 消えるビール
    ビール、それもマスプロダクションな製品ならば値段も手頃であるし、日本酒と違って多少ハズレであっても大抵は何とか飲み切れるという手軽さもあって、良く浮気する。ところが、どうも変なジンクスがある。私が気に入った物は短命で終わってしまうのである。キリンのハートランドは、香りも独特の瓶の形も好きだったのだが、キリンの会社方針のゴタゴタに巻き込まれて縮小の一途。「太陽と風のビール」は雑菌(無害な菌だったのだけど)のおかげで濁りが発生したとかで回収後生産中止。モルツは旨かったのだけどバージョンが変わったら味まで変わってしまった。沖縄のオリオンビールは近所のスーパーにあったのだけど、これまた消滅。キリンのKBの瓶も好きだったのだが、これまた缶しか売れないとかで問屋にも置かなくなってしまったらしい。キリンの極生は発泡酒の中では一番デキが良いのではないかと思ったのだけど、これも何故か近所でみかけなくなってしまった(報道では出荷好調らしいのだが)。次々に消えていくビール。これではまるで私が疫病神ではないか。
     今のところお手頃価格で評価できているのは一番絞り、あとは中身はそれなりで、瓶をリユースしている点を評価しているアサヒのスーパードライのスタイニーボトル位だな。どうやらこの二つだけは長らえてくれそうである。
03月28日(仏滅)
  • 肩が痛い
     今朝起きた時から首筋から肩に掛けて突っ張るような痛みがある。寝違えた時のようで、右肩越しに後ろを見るのが特に辛い。こういうときはヘタに揉んだり叩いたりしない方が良いのだと、その昔何かの本で読んだような記憶があるのだけれども、痛ければ手を当てたくなるのは無意識の行動だ。だいたい「手当」という言葉だってあるではないか、手を当てればやはり少し場所を調べたくもなる、調べようとすれば押してみたくなる、押して気持ちよければ揉みほぐしてみたくなるのが人情というものである。かくして私の左手は右肩の筋肉を一生懸命揉みほぐそうとし、その不自然な姿勢から左肩まで痛くなり、右肩が痛かったのを忘れて左肩を右手で揉もうとして悲鳴を上げるという、オヤジコメディを演じていたのだった。
  • 見切り発車みずほ号
    「みずほ銀行システム未統合のまま見切り発車へ」コンピュータシステムの統合が間に合わないことが3/25の週になってから判明したという大本営発表。現場レベルで変更作業や接続検証をしていない筈はないので、おおかた試験中にとんでもないバグでも出たとか、元々無茶苦茶な工程表を引いて、遅れに遅れが積み重なってどうしようもなくなったか、このご時世なので、下請け、孫受け、曾孫受け、玄孫受けしていたところが倒産したとか、開発担当者が逃げたとか、いろいろ考えようはある。
     やはり統合できていない以上、当分は「みずほ(富士)」とか()付きにしたらどうだ?
03月29日(大安)
  • 技術の進歩と没個性化と
     101という数字を見て何を思い付くだろうか。一般人ならたぶん101匹ワンちゃん、パソコン業界屋なら101キーボード、二進数フリークなら素っ気なく”5”か。八重洲無線のFT-101ES(エフ・ティー・ワン・ノー・ワン、エコー・シアラーと発音する人が多かった)、そしてライバルトリオ(後のケンウッド)TS-520V(ティー・エス・ゴー・ニー・マル・ビクターと呼ぶ人が多かった)を思い出したらきっと私と同じ趣味の世界を同じ時間に駆け抜けていた人に違いない。  この二つの無線機、どちらもアマチュア無線用、それも短波帯用のもので、いずれも最終段の出力部分は真空管と、そこまでは同じなのだけれど、設計がことごとくライバル意識。どちらかというと八重洲無線はアマチュア魂いっぱいという感じ、トリオはいかにも大手メーカなら無線機とはこう作るというものだったように感じていた。  奇妙なライバル意識は実に細かいところまで至る。周波数帯の切替スイッチは、八重洲は波長(m)表示、トリオは周波数(MHz)表示。メインダイヤルは右に回すと周波数があがるか、左で上がるかが正反対(どっちがどっちかは失念)。そのメインダイヤルも、素早く回すために付けた仕掛けは八重洲はダイヤルの一部にくぼみをつけて指をひっかけて回す、トリオはダイヤルから短いスティックのようなものを飛び出させて、それを使って回す。使っていた真空管も八重洲はテレビ水平偏向用の6JS6(こんなものメーカの無線機に使うか!とも思うけど、アマチュア的には手に入れやすいし、非常に人気があった)、トリオはちゃんと送信機用に作られた6146B・・・とにかく何でもかんでも対立したようなこの両者。結局その後もWIDTH対IFシフトとかいろいろと面白い展開を見せるのだけれども、いつしか両方とも似たような所に収れんしていってしまった感じがする。求められる機能に対して技術の方が大きく進歩すると、製品の個性が無くなっていくということなのだろうか。
03月30日(赤口)
  • ソースコード
     こういうことをやっていると、「ソースコード提供」が前提になっている仕事の依頼はそこそこ来る。インデント的な物ならソースごと受注というのは別段不思議はないけれど、汎用的に使えるものについて、インデント開発の付録のような形でソースごと提供というものには引っかかるところが多い。どうも、GNUやら、Linuxをはじめとするフリーなソフトウェア環境があたりまえになったこもあってか、オープンソースが普通・・つまりソフトウェア開発のイニシャル費用はかかるにしても、それ以降は無償で使いたい放題が普通だという感覚になってきているのではないだろうか。
     これが自分たちの首を絞めるとか、そういうことを言う気はもはや無いけれど、将来どうなっていくのかと少々不安を感じることもある。
03月31日(先勝)
  • やり残し症候群
    思い残し症候群というものがあるそうだ。「幼い頃「あの時、本当はこうしてほしかったのに…」という親への欲望が強く残り、心の傷となる「心の病」である」とある。私の場合に思い残しというのはないけれども、やり残したことがたくさん転がっているように思える期間はやはり高校生から大学にかけての期間だろうか。この時期にあれをやっておけば良かったと思えることは数多い。いうなれば、「思い残し」ならぬ「やり残し」である。その中でも一番心残りに思えてしまうのが数学。中学位までは結構好きだったのだが、高校に入ってからは受験勉強の反動か、あるいはちょいとしたトラブルの影響か気力が萎えてしまって、全くもって分からない世界になってしまった。ここ何年も1年に1度位思い出しては何となく数学的な本を買ったり、時に高校の参考書やら問題集のようなものを買ってみたりもするのだが、結局投げてしまう。最初の2、3日は良いのだが結局面白くなくなってしまうのだ。
     今日、その年に1度の虫がうずいてきた。本屋でざっと眺めていると目に留まったのが旺文社の「高校数学解法事典」。1300ページを越える厚さの中に高校数学全分野に渡る3800問が収まっている。開いて見ていて、心に触れるものがあった。それはずっと前、小学生の時に持っていた算数と理科の分厚い参考書。学年という分け方をせず、小学生4〜6年生位の分野を一冊で網羅したその本が愛読書だった。いろいろな物事が開く度に飛び出してくる知識の駄菓子屋と言っても良いだろう。かつて小学生の時から算数や理科が好きになったのはこの駄菓子屋本・・つまみ食い本のおかげだったと思う。
     分野に分けてひとつづ順番に学びましょうとか、この学年ではこれにしましょうなどというのは実にゲルマン的論理主義だ。ピアノのバイエルのようなもので、それなりの合理性はあるにしても面白みは無いに決まっている。別にプロを目指すのでもないなら、そんな勝手な決めごとは置いておいて、まずは面白いと思えるところからどんどんつまみ食いした方が楽しい。こちらはいわばYAMAHAのポピュラー・ミュージック・スクールなノリだろう。
     同じようにこの解法事典。数学のつまみ食い本として見れば実に良い作りである。全領域を網羅しているから、興味ある物だけ探すのも良い。各章のはじめにそこに関係した項目の必要最小限の用語や記法、実例が簡潔にまとめられているから「あれ?この表記って何?」ということもない。あとはひたすら問題と、その答えが並ぶだけなので、パッと開いた所を眺めて「うーん」と唸るもよし、解かないまでもそのすぐ下の答えを読んでみるのも良し。
     税別5340円なり。


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