2002年04月
04月01日(友引)
  • ペン
     ちょっとしたチェック用に赤インクを使っているのだけれども、万年筆に入れるとどうも具合が悪い。液漏れするようなのである。青や黒でそういう経験はないので、赤インクが特殊なのかもしれないが、どうにも相性が悪いらしい。今まではあきらめてペン先をインクにつけては書いていたものの、本来の使い方ではないこともあり、インクがすぐ切れる。これならやはり専門が良いだろうとペンを買いに行った。軸とペン先が分かれているもので、漫画用品のコーナーに並んでいたそれは、実にバラエティ豊かである。ペン先の種類の多さにも、軸の多さにも驚く。一体何がどう違うのかさっぱりわからないまま、適当にはまりそうな軸と、ペン先を二つ買ってみた。軸が250円、ペン先一個45円。ペン先は万年筆と違って使い捨てなのだろう。いったいどの程度持つ物なのだろうか。
     軸とペン先を組み、赤インクに浸して引き上げると、銀のペン先で赤く透明なインクが怪しい光を放っている。紙を滑るカリッとした硬い感触と、繊維とこすれる音。インクの匂いと細く引かれた軌跡・・しばらく時が止まっていた。
04月02日(先負)
  • 計算用紙
     やり残し症候群にさいなまれて買った解法事典だが、問題を解くのにそこらの紙というのが以外と無い。A4のコピー用紙ならたくさんあるのだが、なんだかA4というのはいまひとつ座りが悪いし、バラバラの状態というのも何となく落ち着かない。計算用紙でも買ってくるかと文房具売場を眺めていたら子供用の落書き帳が目に留まる。100%再生紙で80枚綴りのものが3冊で200円しない。表紙に踊る「らくがきちょう」のひらがなと、クマやウサギやアヒルの絵が可愛すぎるのは難点だけれども、どうせ誰に見せるものでもない。帰ってきて開いてみると、計算用紙よりは紙がざらついているけれども、万年筆で書いても問題は無さそうだし、厚手なためか腰があってなかなかいい具合である。
04月03日(仏滅)

  •  以前に増して気分の波が感じられる。ここ数日は特に不調という感じがする。何となくバイオリズムを眺めてみたら、感情/知性がちょうどゼロクロス(+から−へ)ポイントで最悪。身体はほぼ底うちという具合で、あんまりよろしい状況ではない。細君にこぼしたら、「金欠病じゃないの?」
04月04日(大安)
  • 休息
     昨日に引き続いて今日もなんだかおかしい。原因もよく分からない妙な焦燥感と、不安感、圧迫されるような気分が続く。これは少々心が病んでいる状態だなと、自己診断を下す。面白いことに、自分でこの状態はまずいと分かっているし、論理的に考えて別につい一週間前と何ら状況に変化はないではないかと理屈では理解しているのに、不安感のようなものがわき上がってくるのが収まらないのである。
     思い切って頭をオフにすることにした。ひどい風のなか、車で立川あたりまでグルリと一周。ちょっとした用事をすませに行ったら、少しお褒めの言葉をもらって気分良く帰ったのだが、やはり今ひとつ落ち着かない。こうなったら必殺のフテ寝である。なにせ、寝てしまえば不安になることも出来なわけで、こっちの勝ちだ。こんなところで勝ちも負けもないものだが、とにかく肉体のコントロール権を握っている方が強いに決まっているわけで、毛布かぶってCATVのガンダムW等を眺めながら「それはいくら何でも強すぎるだろ!」などと言いつつウトウトする。目覚めてしばらくしたら一体さっきまでのは何だったのかと思う位であった。このところ立て込んでいたから、少々疲れていただけだったのかもしれないな。やはり、これからはなるべく「休日」を作ることにしよう。
04月05日(赤口)
  • 問屋街
     地下鉄の東日本橋、JRの新日本橋などのあるエリアは洋服の問屋街である。ずらりと並ぶ洋品店の店先にはことごとく「素人お断り」の張り紙が必ずといって良いほど張ってある。もっとも、内緒で頼み込むと小売してくれるということも無いわけではないという噂も耳にするから、まぁ、一応「問屋の小売は反則」というタテマエを律儀に守るためであろう。その中の一軒で張り紙が無いのが気になってフラッと入ってみた。が、やはり入り口で「あの・・」と呼び止められた。やはり素人お断りだったようだが、ここで引き下がるのも面白くないので「いえ・・これから開業しようかと思っているのですが」「あぁ、そうなんですか」「えぇ・・見るだけで申し訳ないんですが、よろしいですか?」と断ったら快諾してくれたので上から全部見て回る。仕入れる人はこういおう場所から仕入れているのだろうか。その中で「オーガニック・コットン」とかで無漂白の綿素材の肌着などが並んでいるのを目にした。ただ、この手の物ではありがちなことだけれども、コンセプトは面白いと思うのだけれども、デザインがダサダサという感じで、かなり損をしている。こういうところに、デザイナーの卵あたりをマッチングさせるということができればもう少しユニークな展開が期待できるような気もする。こうした両方のマッチングを実現するというのもこれからの課題なのだろう。
04月06日(先勝)
  • 二項分布
     先日買った解法事典を開いてつまみ食いしたのが確率。この確率の項の最後に控えているのが二項分布。それ自体はそれほどどうということもないのだけど、(p+q)nを展開したときの式と同じ形になるというところがミソなのだなと、今頃になって気付く。確率と級数と時に微分まで持ち出しての基礎的な証明はシンプルなのだけれども面白い。
     そういえば、偏差値というのは(得点−平均点)/標準偏差*10+50という実に単純素朴な手法で求められた値に過ぎないことを分かって使っている人はどの程度いるのだろうか。
04月07日(友引)
  • 放送大学
     放送大学の案内を見ていると、放送自体は自由に視聴できるけれどもテキストなどを手に入れるには入学するよりないかのような雰囲気がしていた。が、先日立ち寄った大型書店に行ってみたらテキストが棚一杯に並んでいる。値段は厚さの割にはものすごく高いのだが、中身はいかにも専門書然としていて、当然のことながらNHK講座などのテキストとは段違いのレベルである。
     常々思うのだが、本当の意味で「学習」が必要になるのはやはり社会人として何年かを過ごした後ではないだろうか。もちろん基礎的な所は全く分からないと厳しいし、その道での研究で飯を食おうという人は別だろうが、大抵の人が大学での講義や研究者と直にぶつかる必要を感じるのは、やはり実社会でなにがしかの行き詰まりや解決したい事柄が産まれてきてからのことだろう。そして、今現に目の前で困っている事柄に対してサポートするというのは、企業・・特に産業の足腰とも言える中小零細企業が国際競争力を高める上で非常に有意義であることもまた間違いない。となると、本当に「科学技術創造立国だ」というなら、社会人の大学へのアクセスをもっと気楽に行えるように、金銭的にも補助すべきではないのだろうか。
04月08日(先負)
  • ETCはASK
     高速道路の自動料金収受システム・・ETCだが、端末との間の通信でASK(amplitude shift keying)方式を使っているということを日経エレクトロニクスを読んで初めて知った。嘘だろうと思って検索したらアルプス電気のサイトでETC用RFモジュールを開発なんていうのが出ていた。このモジュールの仕様を見ると5GHz帯を使った2MbpsのASK伝送なのだそうだ。ASKというのは、デジタル値で振幅を変える方法で、平たく言ってしまえばAM・・そう、あの中波ラジオなどで使われているAMと同じような物だと思って良い。特徴はといえば、FMラジオとAMラジオを比べてみて分かるとおり、比較的簡単ではあるものの、ノイズには弱いわ、周囲の環境によってワサワサと聞こえにくくなるわで、安普請という言葉がぴったりきそうなものである。もちろん、安い・・つまり簡単だということが利点となる場面は数多い。技術には万能というものはなく常に適材適所であり、それぞれの長所と短所をわきまえた上で、用途を間違えずに使うなら良いのである。同じようにASKも例えば非接触型のIDカード読みとり器などに使うならなかなか良い方式だろう。が、この場合は車という結構な速度で動く物体が相手でしかも料金収受という大事な部分である。このあたりを見ても分かるとおり。移動体との通信にわざわざ何でASKなんて使ったのか首を傾げてしまうよりない。
04月09日(仏滅)
  • 本との再会
     とある本を探して古本屋に行たが、目当ての本は見つからず、さりとてこのまま帰るのも何となくつまらないので、しばらく店内を見て回る。この古本屋は二階まである。1Fの小説、コミックを一回り眺めたあと、階段を2Fに上がり、そのまま中央の通路を通って行くと、右手が学参書、左手に辞書などが並んでいた。だいたい良く使う辞書を古本で出すということはあまり無いので、こうして並んでいるのはあまり人気がないものなのだろうと、背の文字を見ていると、研究社の「英語ニューハンドブック」という黒字に白抜き文字文字のケースが目に留まる。何となく見覚えのある雰囲気に取り出して見ると、本体は焦げ茶色の合皮の上から金文字で「New Handbook of English
     扉の言葉が昭和27年だけれども、この中で旧版から20年あまりになるなどと書かれているので、前身が書かれたのは昭和一桁ということらしい。更に新訂版が昭和47年。そしてこの本は新訂第26刷りで昭和60年。
     実は、これは私が高校の時、英語の得意な方からご推薦を受けた英語の参考書。改めて内容を読んでみるとこれは私のような英語が苦手な人に薦めるようなタイプの本ではなかったようだ。ローマ字、筆記体の話しから発音記号とその発音方法、スペリングの法則、音節の法則アクセントや聞き取りの要点、文法、接頭辞、単語の語根、解釈/公式、類語、日英の語法の相違、国歌に句読点の使い方、手紙の形式、看板の書き方、鳴き声、迷信、夢判断・・・もう、何が何だかよく分からないようなものまで詰まっている。どうみても、先日の解法事典と同じように、せっぱ詰まって追い立てられながら勉強するための本ではなく、自分で興味を持って暇があれば開いて眺めているという使い方に適している感じがする。
     とりあえず、再会を祝して購入。800円なり。
04月10日(大安)
  • 携帯電話
     車を運転中の携帯電話やPHSの使用による事故が多いということで、禁止されたのは記憶に新しいが、歩行中はどうなのだろうか。先日出歩いたときに電話がかかってきて、話しながら目的地まで歩くということになったのだが、歩いていいて感じる街の様子が、電話をかけていないときとは全く違うことは新しい発見だった。確かに目には周囲の様子が映っている。見慣れた風景がある。その道を右に・・左に・・判断は間違いなく行われている。ところが、街を歩いるという実体としての感覚が希薄になり、全く別の世界を浮遊しているような感覚になっていく。毎日通い慣れた道ならば、特別意識しなくてもいつのまにか駅に着き、家にたどり着いているのと同じようなもので、意識の浮遊が起きてくる。
     電話をかけていると、話しに意識が行ってしまい、注意力が散漫になって危険だというのが、運転中の電話を禁止した事だったのだけど、実は禁止されているのはいわゆる携帯電話のような形態の通信機であって、アマチュア無線やタクシー無線のようにマイクだけを持ち、聞く方はスピーカーという形態はセーフである。これには運転免許で飯を食っている業界の方への配慮というものもあるとは思うけれど、確かに事故の原因がアマチュア無線機やトラックのCB、タクシー無線をはじめとする業務用無線が原因であったとされた例は記憶がない。
     と考えていくと、どうも注意力が散漫になるというよりも、通常両耳を使っているのに、突然片方の耳が封じられて全く別の音声情報が流し込まれるという、自然界ではあまり起こらない現象に脳が追従しきれずにバランス感覚を失ってしまうのではないかという方にありそうだ。浮遊したような感覚になったのもこのためなのだろうと思えば合点がいく。
     人間に対して、自然界には無い筈の不自然な刺激が与えられることで、一体どういう影響が出てくるのかは良くわからない。ただ、ただの携帯電話ごときでもそれなりの影響が見られるということは、VR(仮想現実)となったらいったいどういう事になるのか、少々気にならないでもない。ゴーグルから与えられる画像は、現実には奥行きの無い平面に投影されただけの物。そして、これまた自然に発せられたわけではない音、正確なリアクションの無いグローブ・・・・1ミクロンの凹凸を感じ取り、音としては聞こえていない筈の20KHz以上の音を感じ取る人間が長い時間をかけて統合してきた感覚を混乱させるような機器が果たして安全なもの足り得るのだろうかと、一抹の不安を感じてしまうのである。
04月11日(赤口)
  • 悪戯
     とある悪戯本を見ていたら、ATMから現金をGETする方法が出ていた。ATMで金を引き出すとき、出てきた現金に手を付けずに放っておく。するとATM側では
     出した筈の現金が客に受け取られない=>受け取れない状態にある=>ATM故障=>取引キャンセルすべし
     というフローになっていて、今出した現金は出していないことにするという処理になっていたらしい。ここで問題なのは「現金を全部取らない」という場合で、例えば10万円引き出して9万円だけ取っても、センサーは「現金がそのままになっている」ということから、先のようなフローに従い、10万円分の取引をキャンセル扱いにしてしまう。つまり、キャンセルしたことで自分の預金は一切減ることなく手元には9万円が転がり込むという寸法となる。(注:この穴は既にふさがれているので、今から実験しても駄目とのこと
     何事に付け、エラー処理というのは一番厄介な問題である。「普通の常識では考えにくい程度の時間が経過しても何の変化もないようなら異常だということにして取引をキャンセルし、アラームを出して人間系に異常処理をしてもらおう」となったのだろう。そのとき、会議出席者の頭の中にあった風景は、恐らくATMの前に行列が出来ている姿だろうか、あるいは「いやぁ、いくらなんでもそんな悪意に満ちた行動は仕組みを知らなければやれないですよ」となったのか・・ATMを製造したところで行われたであろう会議の席での様子を想像してしまうのであった。
04月12日(先勝)
  • ミニバランス
     100円ショップのダイソーで、「ミニバランス」なる玩具を買った。下のベース部分に電池と磁気センサと電磁石があって、磁石の付いた振り子のようなものがゆらゆらと揺れるのを加速していって、時々360度回転するというもの。何千円かするものの簡易版という感じで、さすがに作りはチャチだけれどもこれで100円なら素材としても面白い。
     動かしてみると、なるほど、こんな物でもついなごんでしまうものだ。私の仕事部屋で動いているものといえば、せいぜいファンや時計程度で、ミニバランスのようにある程度大きな動きをしている物がなかったということもあるのだろう。だんだんと揺れが大きくゆっくりになって、「回るか・・駄目か・・もう一回・・よし!」という、その間(ま)も良いのだろう。
     今も机の上にある棚の上でゆらゆらと揺れ続けているこのミニバランス。分解はとりあえず後に回して、しばらく揺れていてもらうことにしよう。
04月13日(先負)
  • 基板設計
     回路図CADで回路図を引くことは出来るのだけれども、実際に物にする段階では、ここから基板設計屋さんにお願いして、実際のプリント基板を作る為のデータ(ガーバデータ)を作成してもらっている。この基板設計というのは、難しい物になるとほとんど職人芸である。特に難しいのが部品配置である。CADの自動配置機能主体でやっているところが「どうしても入りません」と言って泣きを入れてきた回路を他の基板設計屋に渡したら「いやぁ、部品配置が悪すぎますよ、あれじゃ」と言いながらあっさりと配線完了させてしまったりすることも珍しくはない。パターンの設計は最近ではオートルータといって、自動的にやってしまうものも有るのだけれども、これまた部品配置ほどではないにしても、やはりベテランの職人芸にはとうていかなわないようだ。確かにどちらもきちんと回路図通りにつながってはいても、職人芸では流れるように配線されていくところが、オートルータでは苦し紛れとしか思えない不可解なパターンがたくさんでてきてしまったりする。
     こういう職人芸的な領域には到底及ばないにしても、やはり簡単な基板位は自分でパタン設計からやってみたいというのは昔から思っていた。まだCADが一般的で無かった頃にはプラスチック・ペーパーの方眼紙の上に赤鉛筆と青鉛筆で引かれたパタンをチェックしたり、ミスの修正や変更を手作業でやるということはやっていたのだけれども、その後CADが導入されるようになってからはすっかり手を放れてしまった。これをもう一回自分の手元に引き戻してみようというわけである。
     こうしたCAD製品は一般的に高価であるのだが、こうした高価なCADを使い込むほどの配線の腕は無いと自分でも思うので、とりあえずフリーなCADとして、PCBEなるものを見つけて落としてきた。右も左も分からない状態だったが、小一時間遊んでいたら、何となくイロハ位位は理解できた気がする。これで設計した基板製造を受けると正式に言っている基板製造屋(松電子)もあるようなので、それなりに実用に耐えるレベルにあるのだろう。仕事の合間に簡単な基板からチャレンジしてみることにするか。
04月14日(仏滅)
  • バンパー
     先日車庫入れするときについ後ろのバンパーを自宅のブロック塀で擦ってしまった。勢いは付いていなかったから、バンパーの表の塗装が少々禿げただけで、凹みも何もなかったのだけど、何とも格好が悪い。バンパーなんてどうせ樹脂なのだから中まで同じ色か、せめて同系色なのだろうと思っていたら地肌から出てきた色はなんと黒。まぁ、再生プラスチックを使うなら黒というのは便利だろうけど、なんだか格好悪くて嫌だ。ちょうと1年点検で、ディーラーから電話がかかってきたので、ちょっとコボしたら「じゃあちょっと塗っておきます」と言って軽く同系色のペンで塗ってくれたおかげで、とりあえずあまり目立たなくはなった。そういえば、このバンパー、先日は交差点で信号待ちしているときに後ろの車から押されるしと受難続きである。このときはもう少し勢いが付いていたらオカマ掘られていたのだろうけど、異常接近していた状態でブレーキペダルから足を離したらしくて、ズリズリ・・とクリープで押されただけなので、傷も何も付かなかったのだが、今度は軽傷。大けがする前に軽くお払いでもしておいてやるか。
04月15日(大安)

  •  先日の解法事典を何気なく開いて、今度のお題は「微分」。とりあえず、和と差と積・・そして商の公式はさらりと完了。(f(x)/g(x))' = {g(x)f'(x)-f(x)g'(x)}/{g(x)}2
     で、眺めていて恒例で出てきたのがe(自然対数の底:2.718281828・・)。言うまでもなく、
    lim (1+1/x)x
    x→∽
    これが収束するということを証明するという必要もあるのだろうけど、今回は微分で使いたいだけだからパス。さて、f(x)=ex。こいつを微分してもf'(x)=exとなるのをどうやって証明するかと。対数取ってやる手もあるけど、何だかシャクなので、微分の定義に従ってやっていくとにしよう。
04月16日(赤口)
  • 修理
     これだけ新品が安くなってしまうと、壊れた物を修理したり、ジャンクを見つけてきたり、新しく自分で物を作るということがばかばかしく感じることも多い筈なのだが、それでもいざ壊れた物や破棄される運命の物を目にすると、遠く小学生の頃に粗大ゴミを漁っては部品取りしていた時から脈々と流れている血がうずく。
     私が手を付けるのはだいたいが電気製品だけれども、電子回路というのは素子レベルまで分解していくと、電線の上は電流が流れるだけ、抵抗は結局印加される電圧に応じた電流が流れるだけ、コンデンサは電荷を蓄え、コイルは磁界の形で電流を蓄積しているようなもの、トランジスタはベースに流れた電流に応じてトンネル効果で・・という具合で、それぞれの素子レベルは極めて単純なことしかやっていない。もちろん、細々とした特性などはあるのだけれど、それとて素子一つに求めている機能としては結構シンプルなものである場合がほとんどである。最近はすっかりICばかりになってしまったけれども、それでも少々高度になる程度で、やはりそれぞれの部品はおのおのが与えられた仕事を単純にこなしているだけのことなのだ。
     これは何も電子機器に限らず、巨大なプラントだろうと、自動車だろうと、何でも同じである。これらの癖のある連中をまとめ上げて一つの目的に向かって結集させるのが設計で、文字通りそれぞれの部品の”チーム・ワーク”で一つの物が動作している。
     故障では、全体が壊滅的な状況に陥るということはあまりない。たいていは一つか二つの部品なり接続点がおかしくなって全体としてうまく動かなくなっているだけだ。面倒なのはどこが悪いのかを見つけだすことで、これは外から見た症状から推定していくしかないのだが、これが推理小説にも似たもので、推定と検証の連続である。問題点を見つけだし、周囲の状況から見て間違いないと判断。部品が壊れていると思われる時は規格表を調べ、手持ちで相当品が無いか探す。用意できたら交換である。間違っていたら申し訳ないと思いながらおかしくなっていると思わしき箇所に半田ゴテをあてる。年代を経て曇っている半田がそこだけ再び銀色の輝きを示す。錆止め用のフラックスがジューッと小さい音をたてながら細い煙となる。部品を引き抜き相当品と交換する。付けられた部品は埃もなく真新しい姿で、昔からの集団の中に放り込まれた新人という面もちでどことなく所在なげに浮いているようにも見える。
     仮組みして、修理した近辺を見つめながら電源を入れる。今まで何の反応も無かった物がかつての姿と同じように再び息を吹き返すとき、ささやかな達成感と共に、「良かったね」と声を掛けてしまう。ブラシで埃を払ったり、軽く汚れたところを拭き取ったりして、ガラクタ部屋の一員となるときには、あれだけ所在なげだった部品もすっかりメンバの一員のように見えていた。
04月17日(先勝)
  • 切り口と見え方
     事業計画書のようなものを整理している。頭の中に描いていたイメージを絵や文章に展開していくだけだから簡単だと思っていたのだが、これが思ったより難儀である。書いているうちに新しいイメージがわき出てきたり、あれとこれは関連する筈だとか、こっちでこう思っていたのと矛盾しているようにも読めるといった具合で、どうにも収集が付かないのである。
     何とかまとめようと、読み直しながら頭のなかでブロックを組むようにイメージを再構築する。それをまた書き落としてみると、だんだん話しがややこしくなる。それを受けてまた再構築して・・3、4回目になったら随分見通しが良くなったのだが、これを最初に書き下した物と比べるとまるで違うことに驚くばかり。イメージとしては全く同じものを書いている筈なのに、切り口を一つ変えるだけで物の見え方というのはこうも違うものかと驚いてしまう。
     起業関係で良く言われるのは「成功するビジネスとはやりたい事を一言で的確に言い表せる」ということなのだが、これは言い表せないビジネスが駄目ということではなくて、一見複雑な物であっても、実際には的確に整理してしまうことができるような切り口があり、その切り出し方向を見つけられないうちは自分自身何をやっているのか分からなくなり、隘路迷い込むことになるという、諭しなのだろう。
04月18日(友引)
  • トランス
     トランスと言えば我々の磁性体のコアに電線を巻いて昇圧/降圧やらアイソレーション(絶縁)したりするのに使うものだし、場合によっては危ない物を使ってラリってあっちの世界に行ってしまうことだったりすることだと思っていたら、どうやら違うものらしい。現代風盆踊りなパラパラがすっかり下火になったと思ったら、今度は勝手気ままに踊るトランスなのだとか。でも、その映像を眺めていたとき、かつて「巨人の星」でみかけたゴーゴーを連想してしまうのだった。流行は繰り返す。
04月19日(先負)
  • スクラッチ
     日が少し傾きかけた都心の、大通りから枝分かれした路地の片隅に、見慣れたノボリを立てた宝くじ売場が窓口を二つあけていた。スクラッチカード式の宝くじ。「その場であたる」というものらしい。右側の窓口で買おうかと思ったところで、スッと入り込んだ中年男性に気をそがれ、どうしようかしばし考えて、左に向かおうとしたら、先の中年男性が今度は左に移動してまた買っている。宝くじファンというのはこういうものなのだろうか。いつもなら通り過ぎるはずのその場所が今日はなんだか気になって、ポケットを探したらちょうど200円。あいた右側で「スクラッチ1枚ください」と言うまでにそれほどの時間はかからなかった。スクラッチで剥がすところは5つあって、それぞれが1等から5等になっているらしい。受け取った物を歩きながら剥がしていくと、ハズレ・・ハズレ・・やはり当たらないものだなと、次に剥がしていくと出てくる図柄が他と違う。こういうハズレ表記もあるのかと更に擦っていくと「アタリ」の文字がでてささやかながら500円当選。すでに1ブロック進んでいたのを引き返して宝くじ売場で「あの・・当たったみたいなんですが」と弱気の主張に「あら、おめでとうございます」の声と共に出てきた500円玉が不思議な輝きを持っているようにも見える。意味もなく使うのが惜しい気がするので机の引き出しにしまっておくことにした。
04月20日(仏滅)
  • ビット式工具
     先日秋葉原に行ったついでに、先端(ビット)を交換するタイプのドライバ、六角のソケットレンチなどのセットを探してみた。このタイプはどうしても先端を紛失しそうなのと、先端を交換するのが面倒くさそうなので、今まで使ったことがなかったのだが、最近何か工作する度にドライバを捜しているような状態なので、一つ置いておくと何かと重宝だろうとは思っていた。何軒か回ってみると面白いことに980円という統一価格でであちこちにいろいろなセットがある。値段は全く同じなのに、ビットの数が12個位から40個以上までと随分差があることに疑問をいだきつつ、その中でも中程、20個程度のものにした。今まで使ったことがないT型ハンドルのラチェット式である(一方方向に回した時しか先端に力が加わらないようにできる)ハンドル内に、何個かビットを収納しておけるので、良く使う物を放り込んでおくと世話がない。
     安物のドライバセットでは、先端の形状がおかしくて、ネジの頭の溝ときちんと勘合しないということが往々にしてあるので、手元のネジをいくつか引っぱり出してきてはめてみると、どれもうまい具合にはまる。ソケットレンチの方も手元のナットを入れてみたらきれいにはまるので、これも問題なし。値段の割にはなかなか良いセットだったと言えそうだ。
04月21日(大安)
  • 万年筆の手入れ
     以前買ったインク止め式の万年筆だが、調子よく書けたかと思うと、途中でインクがでなくなったり、そのくせギュッと押しつけると書けたりと、何とも状態が安定しない。拡大鏡でよくよく眺めると、間になにやらゴミのような物が詰まっている。あれこれやったが取れないので、ヤケになって、2000番の耐水ペーパーをペン先のスリ割りの中に入れて水を流しながら1、2回擦ったら綺麗に取れたようだ。更にペン先を見るのだが、どうもスリ割りが()型になっている感じで、ペン先がやけに締まっている。これが原因かと思いながら改めてインクを入れ直したが、状況変わらず。やはりペン先かということで、根本の部分を少しペンチで締め付けてペン先が開き気味になるようにしたら、俄然調子良くなってきた。これでしばらく様子を見ることにするか。
04月22日(赤口)
  • チタン
     元が色白なだけに日焼けには滅法弱く、すぐに赤くなってしまう。別段今更シミだのなんだのを気にすることでもないのだけど、やはり日焼けはもう結構である。物の本やTV等では既に今時分から日焼け止め対策が必要ということなので、日焼け止めなるものを差がしてみることにした。薬局に行くと、どうもその手の物は化粧品関係の方にあってどうにも手を出しにくく、ディスカウント店のようなところに行ってみたら、いくつか下げてあるものの中で「ひんやりサラサラ」というのを見かけた。汗でべたつくのも抑えられるならそれもいいかと買ってみる。
     試しに使ってみたのだが、臭いを消そうと、柑橘系な香りを入れているつもりなのだろうけどやはり別の臭いがする。この独特の臭いは一体なんだろう。そういえば、その昔UVファンデーションにはチタンの微粉末が使われていると聞いたことがある。別に紫外線を通過させなければ良いなら、チタンでなくても、アルミだろうと鉄だろうと、ニッケルだろうと関係ないのだが、チタンはかなり安定な金属で、金属アレルギーも起こしにくいということから、使われているのだろう。
     もし、これがチタン粉末だとすると、チタン粉末を乳液状にしたものだということになる。だとすると、こいつは光触媒として使えることになるのか?となってしまうけれど、それはいくらなんでも話しがうますぎる。
     というところで、これ以上突っ込んでも仕方あるまい。この独特の臭いのしないものを探すことにしよう。
04月23日(先勝)
  • 極めることと見切ること
     知られているに決まっていると思ったのにTVショッピングを見ると「何でこんな物が」と思えるものが出ていたりする。あれはほとんど米国からの輸入物のようだけれども、米国人ってこういう物でも信じるのだろうか。以前見た洗剤は「油性ペンで書いた落書きも簡単に落ちる」だとか言っていたけど、あれはそこらの消毒用アルコールで拭けば簡単に落ちるということを知らない人が多いのだろうか。ついでに流れていた「ボール一杯のインクが一瞬で透明になる」なんていうデモをしていたものも、単なる酸素系漂白剤だろうと思うのだけど、汚れが落ちたと思えるらしい。
     アルコールというのは結構便利なもので、燃料用のメタノールは簡単に手に入る上に燃料にもなれば溶剤にもなる。消毒用ならば掃除をするときに使うと綺麗になるし、病原性大腸菌騒ぎの時も殺菌目的で随分売れたそうだ。調子に乗ってアルコールスプレーを常設して何か作業のたびにそれで従業員に手を洗わせた店があったようだけど、これはいささかやりすぎで、手が荒れてしかたなかったそうだ。
     何でも一生懸命になって気に入らない物は何でもゼロにする事を目指してしまうけれど、かける労力とエラーは反比例のような関係で、ある程度以上は必死で労力をかけても頭打ちである。似たような事はCPUのキャッシュメモリにでも言えて、あるところまでは劇的に性能が向上するものの、むやみに大きくしてもヒット率はそれほど向上せず、性能への寄与は少なくなっていく。
     ある程度は向上させたいとなる、欲が出てきてもうちょっと、もうちょっととなる。それは一種の芸術家魂でもあり、職人魂でもあり「一生修行の毎日」であると思うけれども、やはり現実問題としてはどこで手打ちにするかが一番の見極めどころだろう。物事を極めることと見切ることの難しさでもある。
04月24日(友引)
  • 特許庁
     ちょっと訳あって特許庁のサイトで捜し物をしていた。いきなり出てくるこの絵柄に引きそうになりながら、さて、目的の物は何処?おおかたの人がそうだと思うのだけれども、このサイトは最初とても簡単そうに見せていて、そのうちだんだん腹が立ってくるように設計されている。制度紹介で「所定の様式」が出てきて飛んでみたらいきなり「良くある質問」に行くというのも不可解。電子図書館の初心者向け検索は実はほとんどの時間帯で「混雑ている」ということではじかれてしまう。「FI・Fターム検索」といっても、”FI・Fタームって何?”となると、さぁ、また大騒ぎで探さなくてはならない。おまけに文章の大半はお役所そのもので、これまた訳がわからない。古い酒を新しい革袋に入れたというあたりが裏事情なのだろうが、こういう物を分かりやすく検索する特許でも考えて「従来の技術」の項目で「例えば日本の特許庁の○○年○○月時点のページでは・・」と嫌味の一つも書いてやりたいものだ。
04月25日(先負)
  • ウイルスメール
     差出人は別だけど、全部SNA○○○○○@nifty.com(○は伏せ字)というアドレスをリターンパスにしたウイルス付きメールが立て続けに到来する。WORM_KLEZ.Gとかいうものらしい。一つは性懲りもなく某大手ワクチンソフトメーカの名前を語って、「除去ツールです」といった意味らしき英文を本文にするというものだった。中身は良く見ていないけれど、恐らく例によって例のごとく、かの有名なIEのセキュリティホールを突いたものだろう。HTMLとPIFファイルがくっついてきたのでまず間違いなさそう。誰が作ったのか知らないけれど、暇なんだねぇ。
04月26日(仏滅)
  • ウイルスメールはまだ続く
     昨日に引き続き、全く同じリターンアドレスからウイルスメール到達。本人はまだ気付いていないのだろうか。こういうときにどういうアクションを取れば良いのかちょっと悩む。メールのメッセージIDはniftyのそれになっているし、最初のFrom:もniftyだから、返信先はひょっとして信用できるかもしれないとかすかに思ったりもするのだが。とりあえず、IDはniftyのそれだから、メンバ検索をかけてみるか。 メールの返信位するのはわけもないことだが、「返信させる事が目的」という事も多々あるので、ここは黙っているしかないのだろう。
04月27日(大安)
  • 一歩
     根を切られ、一度は朽ち果てた木が土に返り、そして再び他の草木を育んでいくかのように。不死鳥ではない、未来における復活に望みをかけたツタンカーメンの棺でもない。姿も形も全く違うものへと輪廻転生する。今度こそ花が咲き、実を結ぶまで育てたいものだと思う。まず一歩。7六歩。
04月28日(赤口)
  • 120円ショップはいかが?
     地図でみかけた洋服の安売り系な店を一巡りしてみた。山の中に突如現れるショッピングモールとか、ちょっと細い道を入った所に向かい合わせで並ぶ洋服店など、それなりに面白い。100円のジャケットや298円のパンツ(ズボン)というものを見慣れてくると、500円のキャラクタ物を見て「さすがキャラクタ物は高い!」と思ってしまい、冷静に値段を考えてハッとする。
     その価格が適正であるかどうかに関係なく、周囲の状況によってそれが普通である、あたりまえのことであると感じるようになってしまう。冷静に理屈で考えたら誰がどう考えたって100円のジャケットなんて原価にもならないことは明かで、そこにはいろいろな事情というものがあって生まれた異常な価格であることは間違いない。ところがその異常な価格を見せ続けられることで異常な価格があたかも正常な価格であるかのように思えはじめ、そのうちその価格が普通だと思えるようになり、「このくらいが常識だよ」となる。
     だから無益な価格競争に陥るのだ・・と言いたいところなのだけれども、そこが面白いところで、日本では極端に安いものより2、3番目位のものの方が良く売れるらしい。思いっきりな安物よりも、ちょっとだけ見た目が良くて(コストは大差なくても)値段の高いものが。西洋的な考えだとそれは「付加価値」とか「差別化要素」ということになるのだろうけれども、実はそういう堅苦しい言葉よりも「真ん中近傍指向」という方が良いのかもしれない。自分は中流だと思う人が多いから一億総中流意識というらしいけれども、さてそれなら4段階評価で自分はどこでしょうか?と言われたらどうするのかと言えば、たぶん、2番目と3番目を選ぶ人が大半で、どっちを選ぶかは自分の今の満足度に依存しているのだろう。2番目を選んだ人は多分1番に対するささやかなコンプレックスは持っているのだろう。それがブランド志向に火を付ける。3番目を選んだ側はといえば、2番目との間にある2.5の溝を歯がゆく思いながらも4番目ではないという自負があるから、ちょっとだけ良い物に手を出そうとする。
     となれば、100円ショップがこれだけはびこった今、100円ショップよりもちょっとだけ良い品、丁寧な品にして原価を10%位高くした120円ショップはきっとウケるに違いない、などと皮算用してみるのであった。
04月29日(先勝)

  •  個人情報の保護法案が、メディア規制法案であるとして、メディアな方面ではいたく評判がよろしくない。曰くメディアが民主主義の根幹だとか、言論統制になるとか、国民の知る権利がどうたら言った挙げ句に「自主的な規制にゆだねるべき」とする。
     なるほど、さすが報道屋だけに、言っていることはもっともに思える。が、問題なのは今の報道屋がそれだけの高い理想と志と、そして心意気を持って仕事にあたっているのかということだ。現状はと言えば、言論の自由だの表現の自由をタテに何をしても許されるかのような特権意識が鼻につくばかりで理想と現実のギャップが大きすぎるのではないか。
     何か事があれば、単なる「疑惑」の段階からよってたかって個人のプライバシーをほじくり返し全国にこれでもかという程報道する。後で間違っていたとなっても「申し訳ありませんでした」の一言やら謝罪広告一本、せいぜい大手にとってははした金程度の金でケリがつくと思っている。間違っていました、すみません、もうしませんという報道はそれまで延々と報じた時間数の二倍位は言い続けなくてはいけないのではないか。
     私は農薬を複数持っていたというだけで犯人扱いされることになった松本の事件を絶対に忘れない。マスメディアとはそういうものだ。
     ところで、彼らの言う「自主規制」とは何だろうか。つまりメディアの連中は自分達の業界の都合で国民の知る権利をコントロールする特権を有していると思い上がっているのだろうか?あるいは、それなりのスジから言われたら自主規制の美名の元に口をつぐんでしまおうということか。読めば読むほど、聞けば聞くほど不可解な言いぐさである。
04月30日(友引)
  • 1/3
     今年も1/3は終わり。残り2/3で一体何が起きるのか、全然分からない。1/3といわれると、やはり三つ巴のイメージが強い。どれか一つがもう片方とくっつけば多数になるのに、それをせずに三者三様で全体としてのバランスを取っている。何も優勝劣敗、弱肉強食ばかりが能ではあるまいに。

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